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「言語」なしの思考(1)
「言語なしの思考は出来るか」(2006年06月30日)で秀さんは「物質的存在が我々に反映という認識をもたら... 「言語なしの思考は出来るか」(2006年06月30日)で秀さんは「物質的存在が我々に反映という認識をもたらし、存在の属性として世界を理解すると言うよりも、言語によって世界を切り取って、世界の一部を考察の対象にして理解が進むという方が、何か現実の人間の活動を正しく語っているような気がしてしまう。ソシュール的な発想の方が正しいような気がしてしまう。」という感想を述べている。ここで秀さんがいっている「言語」とは観念――個人の意識内においてすでに明確に認識されている主観の内容――のことだと思われる。そうであるなら、このような観念を運用して「世界を切り取って、世界の一部を考察の対象にして理解が進む」というのは人間の認識過程を記述したものとしては当たり前のような気もする。 〔注記〕以下の文中において「受容」とあるのは、表現されたものを受け取ってその内容や意味を理解することを表わしている。「解釈」とか「