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新・五輪招致の記憶(7) 戦後唯一オリンピックを返上したまち: Without Breathing
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新・五輪招致の記憶(7) 戦後唯一オリンピックを返上したまち: Without Breathing
東京は1964年に次ぐ2回目の五輪開催をめざしているが、アルプスのふもとインスブルック(オーストリア... 東京は1964年に次ぐ2回目の五輪開催をめざしているが、アルプスのふもとインスブルック(オーストリア)は冬季五輪を二度開催したまちだ。 しかも、東京五輪の年の1964年と1976年の2回。 なぜ12年という短い間に2回開催することができたのか? デンバーを擁するコロラド州は、アメリカ独立から100年目の1876年に誕生した州であり、Centenial Stateというニックネームを持っている。 コロラド州の100年祭に、同時に大きなイベントを開こうと考えていた州政府は、1976年の冬季五輪招致を思い立った。 1970年 アムステルダムで開催されたIOC総会で、シオン(スイス)、タンペレ(フィンランド)、バンクーバー(カナダ)を破り、デンバーが1976年冬季五輪開催地に決まった。 ところが、地元コロラド州の負担金は500万ドル(当時)と莫大、環境問題さらには冬の観光旅行に対する否定的な影響が