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修の呟き 「大牟田爆発赤痢事件」から77年
原田です。 「大牟田爆発赤痢事件」から77年 今日9月25日は福岡県南部の工業都市・大牟田市で「爆発赤痢... 原田です。 「大牟田爆発赤痢事件」から77年 今日9月25日は福岡県南部の工業都市・大牟田市で「爆発赤痢事件」が発生した日です。 日中戦争勃発直後の昭和12年(1937年)のこの日の夕方突然、1万人以上の市民が腹痛や喉の 痛みを訴え、数日の間に幼児を中心に700名以上が亡くなるという大惨事となりました。 大牟田市役所近くの笹林公園には、事件の慰霊碑が建てられています。碑文には「本市ハ忽ニ シテ阿鼻叫喚ノ巷ト化シ官民必死ノ防疫ニモ拘ラズ竟ニ一萬数千ノ罹患者ヲ出シ七百十二名ノ 精魂ヲ奪ハル」とだけ記されていて、大惨事となった原因については一切触れられていません。 事件は赤痢の爆発的大流行とされていますが、市内の化学工場の爆発が原因との説もあり、 真相はいまだに定かではありません。地元の有志で「大牟田爆発赤痢研究会」が結成され、真相 解明は今も続いています。 「研究会」の調査によると、9月25日