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1941年以前で誰が「伊達政宗の片目に刀鍔を眼帯でつけてみようぜ(笑)」と言いだしたか、教えてください。 PE2HO
片目を失明していた奥州仙台藩藩祖・伊達政宗(だて まさむね)は、死ぬ際には両目をまともに描けと言... 片目を失明していた奥州仙台藩藩祖・伊達政宗(だて まさむね)は、死ぬ際には両目をまともに描けと言い残し、現在に残る遺品や伝承には眼帯が無く、ゲームや映画や観光地ではなぜか刀の鍔を顔面にヒモで貼りつけている姿として親しまれています。 この件について、伊達政宗の眼帯。1987年にNHKから広まる流れについてで書き足してきました。 現在の資料では、「顔に眼帯」「眼帯は刀鍔」は、1920年代から1940年代にかけて映画により急速に広まり、さらに1987年のNHK大河ドラマで人気が確定し、眼帯なしだった漫画や歴史読み物などを徐々に塗り替えてきたようです。 1987年のNHK大河ドラマでの眼帯つき伊達政宗は伊達家当主から監修を受けているそうなので(つまり、演劇で演じる政宗はあの眼帯をする伝統になっていた)、この件については伊達家に伝わる資料の話ではなく、古い映画史の問題となります。 現在のところ、19
2014/06/11 リンク