エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
情報共有で共有されるもの - ENIGMA VARIATIONS
先週、グループウェアと情報共有をテーマにした、とある座談会に参加した際に、ほぼ日手帳にメモしてい... 先週、グループウェアと情報共有をテーマにした、とある座談会に参加した際に、ほぼ日手帳にメモしていた一言。 「情報共有は境目があるから成り立つ」(多分これは座談会では発言していない。) どういうことかというと、情報共有ができている、あるいは情報共有をしている実感は、その情報を知らない人が外部にいて初めて成り立つのではないか、ということだ。全員が知っていることに対して、我々は「情報を共有している」とは感じないのではないか。 社員全員が知っていることでも、世間のすべての人が知っているわけではない。社員という限られた範囲だけが知っているという感覚が、情報共有をしているという実感に結びつくということはないだろうか。 そうすると、会社内においても、特定の人間しか「知らない」情報ほど、それを知る人たちにとっては情報共有を「している」ことにつながらないか。 情報共有ができていないと感じることがあるのは何故
2007/11/29 リンク