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第7回 呉智英の徳倫理と「すべからく」論争
左翼が本来持っていたダイナミズムが失われて久しい。いまや自壊した左翼は「大同団結」を唱え、そのた... 左翼が本来持っていたダイナミズムが失われて久しい。いまや自壊した左翼は「大同団結」を唱え、そのための合言葉を探すだけの存在になってしまった。怠惰な団結をきれいに分離し、硬直した知性に見切りをつけ、横断的なつながりを模索すること。革命の精神を見失った左翼に代わって、別の左翼(オルタナレフト)を生み出すこと。それがヘイト、分断、格差にまみれた世界に生きる我々の急務ではないか。いま起きているあまたの政治的、思想的、社会的事象から、あたらしい左翼の可能性をさぐる連載評論。 アーキテクチャー論も当事者研究も、それほど賢くもなく、強くもない、傷つきやすく弱い人間を前提としていた。社会学者の稲葉振一郎が指摘するとおり、「現実の人間はともすれば弱く傷つきやすく、十分な「徳」を備えてはいない、かといって全く「徳」を欠いているわけでもない、そのようなあいまいな存在なのだ、という問題」[1]に関心が集まっている