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ふるさとの史跡をたずねて【210】ハワイ移民頌徳碑(因島中庄町大江)
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ふるさとの史跡をたずねて【210】ハワイ移民頌徳碑(因島中庄町大江)
ハワイ移民頌徳碑(因島中庄町大江) 一般的には鎖国と言われ、海外渡航が禁じられていた時代が長かった... ハワイ移民頌徳碑(因島中庄町大江) 一般的には鎖国と言われ、海外渡航が禁じられていた時代が長かったので、明治になってからの海外移住が特別なことになる。鎖国以前の日本人の海外進出の状況を考えれば、もし鎖国政策さえなければ、明治以降の移民も特別なことではなかったであろう。だから、明治以降の移民史は特筆に値するが、なにしろ海外のことであるから本稿には向かない。 そのような中で、中庄公民館の駐車場北側にある石碑は、興味深い=写真。 この石碑は大正12(1923)年の1月に建てられているので、およそ百年前のものである。文字が鮮明で光沢の鮮やかなのは、設置場所が良いだけでなく素材が立派なものだからではないかと思う。 中庄の人、小林栄之助氏は明治35年12月に布哇(ハワイ)に渡り、土木事業を興し、百余人の従業員を抱える事業家となった。大正5年9月に帰郷した時は、学校・神社・お寺に多大な寄付をし、大正8年