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合意から20年たっても実現しない普天間返還
日米両政府が普天間飛行場の全面返還を合意してから今日で20年です。 1996年4月12日、橋本総理とモンデ... 日米両政府が普天間飛行場の全面返還を合意してから今日で20年です。 1996年4月12日、橋本総理とモンデール駐日大使によって発表された内容では、5~7年以内に返還されることになっていました。 しかし、未だに実現していないのはご存知の通りです。 その最大の原因は、「移設」という条件が付いていたことです。 普天間は解放されますが、別のところに米軍施設の負担を背負ってもらわなければなりません。 その候補として日米の政府間で決められたのが名護市辺野古でした。 しかし、沖縄県民が本当に望んでいたのは無条件での返還だったこと、名護市の住民投票でも反対派が多数だったことなどから、辺野古への移設はなかなか進みませんでした。 岸田外務大臣は、昨日、広島市で開催中のG7外相会合でケリー米国務長官と会談した際、「辺野古が唯一の解決策だ」と伝えたとされています。しかし、国が力ずく沖縄県や名護市に言うことを聞かせ
2016/04/12 リンク