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国債の歴史からみた日銀の長期金利コントロールの意味
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国債の歴史からみた日銀の長期金利コントロールの意味
日本の国債市場が本格的に稼働したのは、それほど昔のことではない。1979年頃まで、預金金利などは厳し... 日本の国債市場が本格的に稼働したのは、それほど昔のことではない。1979年頃まで、預金金利などは厳しく規制されてきており、国債の金利を含めて市場水準よりかなり低いレベルに置かれていた。これにより企業の設備投資が促され、いわゆる高度成長の原動力となっていた。銀行も保護され、いわゆる護送船団方式と呼ばれるシステムが作られていた。 1970年代に発行された国債は、銀行や証券会社などで構成された引受シンジケート団と大蔵省資金運用部が引き受けていた。シ団が引き受けた国債で市中消化されるのはごく一部で、ほとんどがシ団メンバーの金融機関にそのまま保有された。シ団の引き受けた国債の市場売却は、事実上自粛されていた。ただし実際のところ、銀行が保有する国債の大半は、日銀の買い切りオペで吸い上げられていた。 ところが1977年に金融機関の取得した国債の流動化がスタートすることになる。日銀の買入で吸収される国債の