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『断章51 ”事実”とイデオロギーの話(ベーシックインカム?)』
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『断章51 ”事実”とイデオロギーの話(ベーシックインカム?)』
「事実とイデオロギー」。 こんなタイトルの本があってもおかしくないよなと思ってちょっとだけ調べまし... 「事実とイデオロギー」。 こんなタイトルの本があってもおかしくないよなと思ってちょっとだけ調べましたが、ズバリのものは見つかりませんでした。 今回はこの、いわゆる「観測の理論負荷性」周辺の話をしたいと思います。 そういえばピケティの「資本とイデオロギー」の翻訳は11月発売だそうで(英語版で読みましたが面白かったですよ)。 さて。 たとえば、日食。 日食って「現象」、「事実」ですよね。 古代の人びとがそれを不可思議な何かの「しるし」だと見做していたことはよく知られた話です。「神の怒りだ」、とかそういう。 けれども現代のわたしたちはそうは思わない。 「月が太陽と地球の間に入ったってことね!」 くらい。 でも古代の人びとも現代のわれわれも、見ている「事実」は同じですよね。 宇宙人がこの様子を見たら「ああ、人間は解釈を変えたのね」ってなるわけです。 現象そのものはまったく変わっていない。 さて、な