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『近藤勇・流山前後06』
慶喜の奏聞状 慶応四年二月十九日(グレゴリオ暦1868年3月12日) この日、松平春嶽は再び慶喜討伐の中止... 慶喜の奏聞状 慶応四年二月十九日(グレゴリオ暦1868年3月12日) この日、松平春嶽は再び慶喜討伐の中止を建議します。その前日、慶喜の奏聞状が春嶽のもとに届いていました。 慶喜一身ノ不束ヨリ生候儀ニテ 天怒ニ觸候段、一言之可申上樣モ無御座次第 十一日夜に慶喜が臣下に示した諭達書と同じ文面で、なにひとつ弁解しない姿勢を示しています。 此上如何樣之 御沙汰御座候共、聊無遺憾奉畏候所存ニテ、 この部分も諭達書と同じで、どのような御沙汰があろうとも従うことを伝えています。しかし、討伐については猶予を求めました。 弊邑之儀ハ、四方之士民輻輳之土地ニモ御座候得者、多人數中ニハ、萬一心得違之者無之トモ難申、 江戸は様々な地域から来た多くの人々で混み合う土地柄なので、大勢のなかには「心得違い」をする者がいないとは限らないというのです。この「心得違い」とは、討伐軍への抵抗を試みることを指しています。 何卒