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『被爆した戸籍たち』
今日は64回目の長崎原爆忌である。 64年前、母方の祖父は軍に従事して投下後の長崎市内に入市し被爆した... 今日は64回目の長崎原爆忌である。 64年前、母方の祖父は軍に従事して投下後の長崎市内に入市し被爆した。 彼が軍務の名の下に命を削って撮影した写真の一部は後に写真集となり、全国の小中学校に配布された。祖父の家を訪ねる度に、学校の図書館で見たそれと同じものを私に広げ、詳しく説明してくれた記憶が幼心に焼きついている。その写真集は形見として私が受け継いだ。 ページの1枚には、同僚が撮影したものだろうか、矢印書きがされて祖父自身も映っている。 その長崎から昨年、所用があって除籍簿を取り寄せた。 そこには祖父や曽祖父母の名もある。 私は被爆した祖父から数えれば被爆者3世と言うことになるが、今回長崎より届いた除籍簿の謄本を手にして、ふと不思議な思いに包まれた。 最も古い人物では嘉永や安政の生まれと書かれた人物がある。これは戦時中の焼失を免れた証である。よくもまあ、原爆にやられずに残ったものだ。 東京や
2016/08/09 リンク