エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
『SORAかさい 1』
鶉野飛行場は昭和18年10月に発足した姫路海軍航空隊の訓練基地でした。 戦後、占領下の空を日本軍機が最... 鶉野飛行場は昭和18年10月に発足した姫路海軍航空隊の訓練基地でした。 戦後、占領下の空を日本軍機が最後に飛び立った飛行場であり、知覧や鹿屋に向かう特攻機の中継基地でもありました。終戦時には紫電・紫電改併せて70機が残存していたそうです。 元 滑走路は土を固めただけのものでしたが、再整備にあたり一部コンクリートになって駐車場として利用しています。 以前は滑走路脇西側にあった平和祈念の碑がこちらに移設されています。 特攻白露隊戦死者のみならず、訓練殉職者も記名されています。 訓練生より教官や教員が多く亡くなっているのは、基地に隣接した川西航空機工場で製造された機の試験飛行も行っていたから、テストパイロットとして不調を起こした機を何としても基地に着陸させようと脱出しなかったからかもしれません。 昭和20年3月31日に国鉄網引駅付近で試験飛行中の紫電改が不時着、線路を引き剝がして脱線転覆事故を起