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キリスト教的世界観では、”にんげん”とそれ以外を「自我の有無」かなん..
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キリスト教的世界観では、”にんげん”とそれ以外を「自我の有無」かなん..
キリスト教的世界観では、”にんげん”とそれ以外を「自我の有無」かなんかで分けてて、アンパンマンはに... キリスト教的世界観では、”にんげん”とそれ以外を「自我の有無」かなんかで分けてて、アンパンマンはにんげんだからカニバリズムととられるのかな。と感じた。 アニマルライツは「人間も動物=程度の差はあれ動物にも自我があると推測できる=どうぶつもにんげん」=にんげんがにんげんを食べるのは気持ち悪いってのが根本的にあるのかなあ。 ライオンキングだってライオンしかしゃべらない映画だったら虫を食べる必要はないし ジャングル大帝も培養肉の研究をする必要はないよね もっというと、キリスト教圏の人間でなくても、人語を解する生き物を食べられるのかというと疑問だし 食人文化圏でも「ヒトを食べる」ことと「動物を食べる」ことの意味合いは大きく違うみたいだし(食人は儀式的側面が大きいみたい) 食べ物の擬人化とはいえ、考えてみればヒトに顔食べさせるってのは日本の文化の範囲でも結構クレイジーだと思う。 毎日焼き大根食べてた