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「ゆゆ式」が受けた理由、村上春樹の反復
解離モデルではなくオブジェクト—メタモデルだから。 日常系アニメ(例:Aチャン、きんモザ)は基本的に... 解離モデルではなくオブジェクト—メタモデルだから。 日常系アニメ(例:Aチャン、きんモザ)は基本的に解離モデルだ。 「日常」の性格と「ギャグ」の性格が解離しており、それを統合するメタレベルが希薄だ、そんな印象を受ける。 他方、ゆゆ式は「ギャク」の性格を包括するメタレベルとしての「日常」の性格があると思える。 ピンク髪の子がわけのわからんギャグを言って「今の、恥ずい……」と言ったり、どこか超然としたopなど、メタレベルの知覚への誘いに満ち満ちている。 (そうでない面もあるという指摘もあるだろう。その指摘は受け入れる。ただ「漠然と眺めて二分出来るよね」という話だ。) そんなわけで、構造的にゆゆ式は他の日常系アニメと違う。そこら辺が、コアなアニメ層から受けた理由だろう。 そして、この「オブジェクト—メタ構造」は村上春樹の反復だと思う。 村上春樹の小説については、「オブジェクトレベルでは日常の些事