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自己犠牲とかが美徳”ではない”みたいな風潮
一般向けのコンテンツとか価値観で「自己犠牲尊い」みたいなまとめ方が多い一方で、言論界隈とか働き方... 一般向けのコンテンツとか価値観で「自己犠牲尊い」みたいなまとめ方が多い一方で、言論界隈とか働き方改革とか学校教師の過重労働とかに対する最近の風潮として「自分を犠牲にして誰かのために尽くすことは正義ではない」という感じの主張が高まってるように感じる。なんかそれってモヤるなぁと思ったのでうまく書ける気がしないけど、垂れ流す。 まず、自分自身のこれまでのスタンスとしは自己犠牲つまんね派だった。とくにアクション映画とかでよくあるのが、主人公だったりライバルだったやつだったりが、最後の最後大事な場面で改心して自己犠牲を払うことで事態を打開するやつ。主人公のピンチに人の盾となって撃たれたりして倒れるやつとか、荒くれ者キャラだったやつが地球を救うために特攻するとかそういうんだ。 映画ではそういうまとめ方がほんと多くて飽きる。はいはいまた自己犠牲美しいendね、安易。って思ってた。 話変わって働き方改革的