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なぜ「多様じゃない多様性」が生まれたのか?
多様性と言ったら「色んな人がいていい」なのに なぜか現代の多様性では「色んな人がいなきゃいけない」... 多様性と言ったら「色んな人がいていい」なのに なぜか現代の多様性では「色んな人がいなきゃいけない」になっている 「色んな人がいなきゃいけない」の正しさの押し付けになっている スタートの公平じゃなくて結果の同一性になっている こういうのって、最初に言い出した人はいいんだけど その声を聞いて周りに正しさを押し付ける人が一定数居るんだと思う 1.最初に言い出した人(当事者、第一人者) 2.それを広める人 3.正しさを押し付ける人 4.彼らに従う人 5.反発する人 と言う構図がある こういうの誰しも覚えがあるんじゃないだろうか 昔、某掲示板で二次創作を始めたことがあって、その後それなりのブームになったことがあった 私はちょっとした始祖というか神扱いされて気分が良かったのだが やがて「増田さんならこう言っていた」「増田さんはこう言うはず」「増田さんはこうだから君は逸脱している」 のような、勝手にルー