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「民度」について――帝国主義研究・植民地主義研究の視点から - 浅田進史研究室/歴史学
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「民度」について――帝国主義研究・植民地主義研究の視点から - 浅田進史研究室/歴史学
今さらですが、「民度」は差別表現です。*1 近年、揶揄するような文脈でメディアや日常会話のなかで、こ... 今さらですが、「民度」は差別表現です。*1 近年、揶揄するような文脈でメディアや日常会話のなかで、この表現が許容されるようになっている気がします。歴史的に帝国主義者・植民地主義者が好んで使ってきた表現で、安易に使われる風潮を懸念しています。確信犯的な人もいると思いますが。 帝国主義の時代には、英語では"standard of civilization"、ドイツ語では"Kulturstufe"という表現が使われてきました。 それは異なる文化を尊重し、認め合うものではなく、さまざまな文化を序列化する差別意識の発露です。西洋中心主義的な思考、いわゆるオリエンタリズムの典型です。 日本でこの言葉が使われるとき、内面化した西洋中心主義的な思考、つまりオクシデンタリズム(逆オリエンタリズム)とアジア蔑視が表面化するように思います。 近年、だんだんとこの言葉を見聞きすることが増えてきました。メディアはこ