エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
都市計画法の旧法と新法 - 花の四日市スワマエ商店街
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
都市計画法の旧法と新法 - 花の四日市スワマエ商店街
大正18年に制定された“都市計画法”を旧法、昭和43年制定を新法といいます。 今まで述べた四つの都市... 大正18年に制定された“都市計画法”を旧法、昭和43年制定を新法といいます。 今まで述べた四つの都市計画はすべて旧法に基づいて施行されていました。「都市計画委員会ノ議を経テ」「内務大臣」が決定し「内閣」の認可を受ける、つまり都市計画は国の権限によって行われていた、そして戦後は国指導の委託事業として作られていました。こうした事業は、国家による“開発のための都市計画”だったのです。開発構想は、市民や住民の関与以外のところで作られてきたといえます。 都市計画は、市民の生活空間である土地の利用方法に、“公共”が介入する形で発展してきました。石油コンビナートのような他者を圧倒する独占的土地利用に規制が求められました。ところが、四日市公害と都市計画の関係は逆でした。では、昭和43年改正後の都市計画法が公害を防止できたでしょうか。確かに昭和43年制定の“新法”以来、権限は国から市町村に移されてきました。