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死と神 - 恐山あれこれ日記
「死と神は似ている」 「何のことだ?」 「どちらとも、それ自体が何なのか絶対にわからない。いかなる... 「死と神は似ている」 「何のことだ?」 「どちらとも、それ自体が何なのか絶対にわからない。いかなる経験とも結びつかないという意味で、純粋観念だ」 「死は経験できないと、よく君は言うよな。神は?」 「神が永遠で普遍的で絶対的なものだと言うなら、それ自体は、永遠でなく普遍的でなく相対的な存在である我々の経験対象にならない。なるんだったら、絶対ではない。だから、わからない」 「それで?もう少し説明しないと」 「では、まず死について。自己は他者をコピーして構成されるから、死も他者からコピーされる」 「どういうことだ?」 「他者の身体の消滅を見て、それが『自分にも起こる』と確信することから、『死』の観念が発生する。この確信が可能なのは、最初から自己が他者のコピーで始まっているからだ」 「しかし、それが何であるかはわからない、というわけだな」 「そう。すると、自己の存在を決定的に変えてしまう、わけのわ