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『オシムの言葉』(続き):「自信など不要だ」と「ナショナリズム」 - Feel in my bones
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『オシムの言葉』(続き):「自信など不要だ」と「ナショナリズム」 - Feel in my bones
『オシムの言葉』を熟読している。先のエントリでは歴史との絡みのことを主に書いたが、サッカーと人生... 『オシムの言葉』を熟読している。先のエントリでは歴史との絡みのことを主に書いたが、サッカーと人生の哲学のようなこと、ボスニアでオシムがどのような存在か、ということについて読んでいると目頭がなんども熱くなる。 昨日の『情熱大陸』に出てきた言葉を思い出した。「自信など不要だ。相手にどう見えるかが大事なのだ。相手という鏡に映った自分を見て、自分の足りないところを向上させていくのだ。」正確ではないが、このようなことを言っていた。 この言葉は私にはすうっと来た。「自信を持て」、とはよく言われるが、自信など不要だ、ということを言う人はなかなかいない。それは私が、「もっと自分に自信を持たなければいけないな」と思うことが、というより「思ってしまう」ことが多いからに違いない。つまり「自信を持て」ということ自体が囚われになって自分を縛ってしまうということである。無意味に自信過剰な人間が溢れている現代は、ある意