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『歴史を問う 1神話と歴史の間で』(岩波書店) - origenesの日記
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『歴史を問う 1神話と歴史の間で』(岩波書店) - origenesの日記
『歴史を問う』というシリーズものの論文集の第1巻。今回のテーマは「神話」であり、国内外の神話と歴... 『歴史を問う』というシリーズものの論文集の第1巻。今回のテーマは「神話」であり、国内外の神話と歴史に関して論じられている。 「神話と歴史の間で」 元々口語によって語られるものだった神話が次第に書き言葉となっていき、それが「歴史」と接近する。著者は「中世神話」という概念を提唱し、『愚菅抄』や『神皇正統記』を論じる。鎌倉時代、仏教者たちは自分が末法の世にいるのだと考えていた。救いがもたらされることのない末法の世。その中でどのようにして宗教的な救いを人々に与えることができるか。その問いに対する一つの回答が親鸞の浄土真宗であったと言える。慈円の『愚管抄』もそのような時代に書かれた書物であり、彼の仏教的な歴史観が投影されている。慈円の道理の概念や末法思想はあくまでも彼の主観によるものだということに留意すべきである。そこには歴史を客観的に語ろうとする意識はあまりない。 一私人の立場から書かれた『愚管抄