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大久保の鼻の由来 - 私の思いと技術的覚え書き
沼津市街から国道414号を南下すると御用邸辺りから獅子浜までは、ややカーブがあるとはいえ、概ね直... 沼津市街から国道414号を南下すると御用邸辺りから獅子浜までは、ややカーブがあるとはいえ、概ね直線である。しかし、地図にも表記される「大久保の鼻に」に至ると大きく180度ターンして江浦湾に至る。この大久保の鼻だが、昭和初期の古地図を見ると、ここに大久保山という小山(wikでは140mと記してあるが古地図では188mと表記)があったことが判る。古地図にも大久保ノ鼻と表記されているから、この山が岬状に飛び出している形状から鼻と云われる様になったと想像が付く。 この大久保の鼻を通る道は、かつては県道で、その幅員は1.5車線という程度のものであったことが、所々に残る旧道だとか旧トンネルの幅から判る。そして、かつての大久保山は形成された岩質などから、度々崖崩れを起こし、都度県道が通行止めになるなどの災害を生じ、地元の者から「与太山」と蔑称されていたとも記されていた。 昭和40年代の高度成長期、地元の