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下川耿史『エロティック日本史』を読む(その4) : 太田述正ブログ移転→ www.ohtan.net
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下川耿史『エロティック日本史』を読む(その4) : 太田述正ブログ移転→ www.ohtan.net
太田述正コラム#8975(2017.3.16) <下川耿史『エロティック日本史』を読む(その4)>(2017.6.30公... 太田述正コラム#8975(2017.3.16) <下川耿史『エロティック日本史』を読む(その4)>(2017.6.30公開) 「日本には古代から「歌垣」<(コラム#5019、6322)>と呼ばれる性的な風習があった。歌垣とは若い男女が近くの山や浜辺に集まり、歌を交換しながら次第に高揚して関係を結ぶというもので、見知った同士のこともあれば、見知らぬ男女がその場で意気投合する婆も同じくらいあった。いわば日本における"乱交パーティー"の始まりというわけである。 歌垣は今から4000年前、中国の黄河の流域で発生し、東南アジアを経て日本に渡来したと推定されている。歌垣とは日本の西国での呼び方で、東国では「嬥歌(かがい)」と呼ばれた。・・・ この日ばかりは、結婚した男女も公然と浮気ができるのである。・・・ <ところが、>明治の近代化以降、性的なものは下品という烙印を押されて<行われなくな>ったのである