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千總に学ぶ:イノベーションあってこその伝統:佐川明美の「シアトルより愛を込めて」:オルタナティブ・ブログ
「京友禅千總 450年のブランド・イノベーション」(長沢伸也・石川雅一著)を読了。 1555年といえば、... 「京友禅千總 450年のブランド・イノベーション」(長沢伸也・石川雅一著)を読了。 1555年といえば、川中島の合戦が行われた年とか。織田信長は21歳、豊臣秀吉は18歳、徳川家康は13歳だった。 元々宮大工だった千總の初代・千切屋与右三衛門は、この年、お坊さんのきものである「法衣」を商う法衣装束業として創業したのだという。戦乱の世、数多い建物が焼けたが、それを立て直すのにまわすお金はあまりない。逆に数多い戦死者を弔う僧侶たちにとっては、忙しい時代だったのではと、著者は推測する。 第4代千切屋惣左衛門は、金襴をふんだんに使った豪華な衣装分野に進出した。天下泰平で、上方中心に商人が勃興してきた頃だ。 しかし、江戸幕府はしばしば奢侈禁止令を出す。金襴を制限された商人階級は、厳しい規制の範囲内で、何とか贅沢な感じを出そうと工夫する。友禅染の出現には、そんな時代背景があったようだ。そして、千總は「友
2011/08/02 リンク