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【書評】『三池炭鉱「月の記憶」』:与論の月:Social Reading:オルタナティブ・ブログ
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【書評】『三池炭鉱「月の記憶」』:与論の月:Social Reading:オルタナティブ・ブログ
♪月が出たでた、月がでた あよいよい 三池炭鉱の上にでた あんまり煙突が高いので さぞやお月さん 煙... ♪月が出たでた、月がでた あよいよい 三池炭鉱の上にでた あんまり煙突が高いので さぞやお月さん 煙たかろ さのよいよい おなじみ炭坑節の一節である。夏も真っ盛り、盆踊りの会場などで耳にすることも多いのではないだろうか。この炭坑節、そもそもは三池炭鉱の鉱夫たちによって歌われたのが、その成り立ちである。 三池炭鉱は、福岡と熊本にまたがる地域に広がり、かつて日本最大の炭鉱であった。多いときには、日本の石炭の二割を掘り出していたという。この三池炭鉱から全国へと広まった炭坑節、その歌詞に出てくる「お月さん」と「煙突」が、はたして何を意味するものなのか、それが本書のテーマである。 著者は熊本放送のディレクター。過去にハンセン病患者の差別を取り上げたドキュメンタリー番組などを、数多く制作している人物でもある。著者は、この炭坑節にこめられた歌詞の意味を、鉱夫たちの間に存在した差別の中に見出し、その構造を