サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
blogs.itmedia.co.jp/naichi
本書『霊柩車の誕生』は1984年に刊行。その後1990年の新版を経て、この度三回目の増補新板となった、知る人ぞ知る名著である。路上から消えゆく今を起点に変遷を辿ると、その誕生をもって”終わりの始まり”を意味していたということがよく分かる。 霊柩車とは、文字通り遺体をおさめた霊柩を運搬する自動車のことを指す。多くの人がイメージされる霊柩車は、荷台部分が伝統的な和風建築のスタイルで形づくられ、屋根には唐破風がかけられているものであるだろう。これは通常、宮型霊柩車と呼ばれるものである。 上半身が神社仏閣系の装飾で、下半身は高級乗用車。この組み合わせ、さては名古屋発祥かと思っていたのだが、どうも大阪に起源があるようだ。誕生したのは、大正の終わり頃の話である。(※名古屋説もあり) 興味深いのは、この組み合わせを良しとした時代背景である。昭和初期の日本では、鉄筋コンクリート造の現代建築に和風の瓦屋根を
”星飛雄馬がインド人になる。しかも、野球の世界で「巨人の星」を目指すのではなく、舞台をクリケットに移し「インドの英雄」を目指す” そんなニュースが報道されたのは、今から一年くらい前のことだろうか。 そして年も押し迫った、昨年末の12月23日。TVアニメシリーズ・インド版『巨人の星』は、『スーラジ ザ・ライジングスター』というタイトルで放映をスタートした。だが驚くべきことに、一年前に報道された時には、インドにおける放映について何もかもが白紙に近い状態であったのだという。 本書は、インド版『巨人の星』誕生の仕掛け人が、構想から第一話放映実現までのプロセスを綴った一冊である。著者は講談社で『フライデー』『週刊現代』『クーリエ・ジャポン』などの編集に携わった人物。休暇でインドを訪れ、かつて学生時代に貧乏旅行をした時の「インドで新しいことをやりたい」という思いが蘇ってきたところから話は始まる。
まったく便利な時代になったものだと思う。どこにいてもネットにはつながるし、様々なデバイスから目的のファイルにアクセスできる。重いPCを持ち歩かなくても作業は行うことはできるし、シェアも簡単。まさにクラウドさまさまである。 しかし、人類に先駆けること何百年も前に、同じような環境を手にしている生命体がいた。それがウイルスである。彼らは人間同士が相互に接続された世界を、まるでクラウド・コンピューティングのように利用し、自分自身をビットのように複製してきたのだ。 かつてパンデミックを引き起こしたスペイン風邪ウイルスや、HIV(ヒト免疫不全ウイルス=エイズウイルス)のような悪性のウイルスは世界中を席巻してきた。また、2009年に豚インフルエンザウイルスが人類を脅かしたことも、記憶に新しいことだろう。 このような猛威に対し、人類だって手をこまねいて見ていたわけではない。突発的なウイルスを絶滅するべく、
新しくなったHONZのサイト。8月くらいから少しづつ作業を進め、ついに完成しました。これまでにサイト制作は何度も経験してきているのだが、今回の作業は感慨もひとしお。感極まって、HONZ活動記にまとめてみました。サイト制作を担当するようになるまでのこと、そして作業をしながら感じたこと。 ◆プロ、アマ混成集団の中に身を置くと何が起こるのか? HONZのメンバー構成は、アマチュアのメンバーが大半で、それを2名のプロが支えている。これは一見、プロとアマの境界線がなくなっていく「アマチュアの時代」を象徴する在り方のように思えるかもしれないが、中にいて感じるのはプロの凄味でしかない。 だがやがて、メンバーは誰しも思うようになる。自分だって何かのプロだ。メーカーに勤務する「ものづくり」のプロ、新聞報道のプロ、研究のプロ、学生のプロ、かくいう僕だって広告業界に属する以上、広く告げるということに関して負ける
企業アカウントがユル〜いツイートで意外な一面を見せる、いわゆる「軟式アカウント」というものが話題を呼んだのは、もう3年ほど前のことになるのだろうか。 その時は脚光を浴びたアカウントの数々も、淘汰されていったものや、組織上の理由で存続を断念したものも、少なくはないことだろう。何と言ってもソーシャルメディアは、継続することに一番高いハードルがある。 そんな中で、今なお元気に活動しているのが、こちらのアカウントだ。 N=ナカノ H=ヒトナド K=イナイ — NHK広報局(かなりユルい会話など)さん (@NHK_PR) 12月 28日, 2010 フォロワー数が、じつに約490,000。やや癖のあるTweetが特徴で、幾多の伝説も残している。その人気の秘密は、一体どこにあるのだろうか。キャラ設定か、「ナカノヒトナドイナイ」という定番ギャグによるものか。 誰にだって"初めて"というものがある。前半で
電子書籍を無名でも100万部売る方法 [Kindle版] 作者: ジョン ロック, 細田 朋希, 大竹 雄介, 小谷川 拳次 出版社: 東洋経済新報社 発売日: 2012/10/17 ※本書は現段階でKindle版のみの販売です。 かねてより待ちわびていた日本向けの「キンドル・ストア」が、先日ついにオープンした。日米のアカウント統合とやらを行い、試しに何かダウンロードでもしてみようかなと思っていたら、偶然にもニュース・フィードに本書の案内が流れてきたのでとりあえず購入。読み始めたら意外にも面白く、そのままレビューを書き始めるという新しい読書体験になった。 ご覧のとおり、表紙にはいささかの怪しさも漂う。「キンドルで爆発的ミリオンセラー!」と書かれているが、その下に小さな文字で「 の著者が教える、あなたにもできる全ノウハウ」と続いている。けっして本書自体が、爆発的ミリオンセラーを記録したわけで
仮に物理学が、一人の女性であったとしよう。家柄も良く、顔立ちも整ったあの娘は、何度声を掛けようとも、決してこちらを振り向いてはくれなかった。そんな彼女が一人の老教授の前では、見たこともないような艶やかな表情を見せるのだ。 MITの物理学者ウォルター・ルーウィン。彼の講義は、まるでロックスターのように教壇上をところ狭しと駆け回り、大教室をまるでサーカスのような興奮のるつぼと化してしまう。決め台詞は「その目で見ただろう?これが物理学だ!」。 その熱狂は、学内のみに留まるわけもなかった。MITのOCW(オープンコースウェア)プロジェクトが彼の講義ビデオをウェブ上に公開すると、またたく間にこの授業は世界中に知れ渡ることとなる。大量のアクセスとともに「Webスター」の称号も手に入れた、あの名物教授の講義がついに書籍化された。 その人気の秘密は、教室を一瞬で非日常空間へと変えてしまう、大規模なデモンス
blogs.itmedia.co.jp
「ものづくり」が変革の時を迎えようとしている。3Dプリンター、カッティング・マシン、ミリング・マシン、PC制御ミシンなど、デジタル工作機械の登場により「つくる」という行為そのものの意味が、変わりつつあるのだ。 中でも注目を集めるのが、ファブ建築と呼ばれる手法である。分解・組立可能で、まるでプラモデルのように作れる木造建築は、「ソーシャルビルド」としての側面からも話題を集めた。これまで分断されていた「つくる人」と「使う人」の境目があいまいになりつつあるのが、現在の姿であるだろう。 このような消費者主導の「ものづくり」が存在感を高める中で、生粋の「つくる人」たちの本質的な価値とは、いかなるものなのだろうか。今や設計図やマニュアル通りにこなすだけであれば、職人が介在する必然性など、どんどん薄れていってしまう。 本書は、ゼネコンの下請けとして働く職人から、宮大工・社寺板金のような伝統的建造物に携わ
保衛員が数人がかりで中年女性を絞首台に引きずり出し、青年を柱に縛りつけた。それは彼の母親と一人っきりの兄だった。保衛員が母の首に回した縄の輪をきつく締める。母は彼の目をとらえようとしていた。だが、彼は視線をそらした。それどころか、悶え苦しむ母を見ながら、死んで当然と考えていたのだ…… 彼の名前はシン・ドンヒョク。北朝鮮の政治犯収容所で生まれながら、脱走を果たした唯一の人物である。しかも彼がいたのは、ただの収容所ではない。単に「収容所」の三文字で形容するには、あまりにも壮絶な場所であったのだ。 北朝鮮には大きく分けて二つのタイプの政治犯収容所がある。ひとつは再教育が目的で出所可能な「革命化区域」、もうひとつは仮釈放など一切ない「完全統制区域」。シンがいたのは、過酷な労働と飢え、拷問、処刑、密告が日常の「完全統制区域」の方である。そこにいる囚人たちは「絶望種」と呼ばれ、死ぬまで働かされることと
リバース・イノベーション 作者: ビジャイ・ゴビンダラジャン、クリス・トリンブル、小林 喜一郎(解説)、渡部 典子 出版社: ダイヤモンド社 発売日: 2012/9/28 標題の『リバース・イノベーション』とは、「途上国で最初に生まれたイノベーションを先進国に逆流させる」というものである。 これまでのイノベーションの多くは、まず先進国で始まり、その後で川下の途上国へと流れていくものであった。 しかし、まるで重力の法則に逆らうかのように、真逆の動きをとるイノベーション事例が、しばしば散見されているのだ。本書はそんなリバース・イノベーションが引き起こすインパクトや、そのメカニズムを解説した一冊である。 著者はダートマス大学の教授を務め、GE社で新興国市場のチーフ・コンサルタントも務めた人物。リバース・イノベーションの第一歩は、発明からではなく、忘れることから始まるのだと言う。学んだこと、見てき
本一冊で人が死ぬこともある。嘘だと思うかもしれないが、本当の話だ。 『悪魔の詩』の翻訳者が筑波大学の構内で殺された事件は鮮烈に記憶に残っているし、ジョン・レノンを殺害した犯人が事件直後に『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいた話もあまりにも有名である。しかし「事件・災いを引き起こした本」は、この他にもまだまだ沢山あるのだ。 例えば『ピーター・パンとウェンディ』。このモデルとなったデイヴィズ家の少年たちは一様に、不幸な最期を遂げいてる。長男、四男はともに21歳で死去。三男は精神錯乱状態になったうえ、63歳で自殺。死の直前まで作品を「あの恐ろしい傑作」と呼んでいたという。彼らは大人として成長することを、決して許されなかったのだ。 本書は、このような古今東西の「ワケありな本」ばかりを集めた一冊である。この他にも「政治・戦争で発禁になった本」、「猥褻表現が問題になった本」、「差別・思想で発禁になった本
日本語には相反する意味を持つことわざが、非常に多い。 「好きこそ物の上手なれ」と「下手の横好き」 「君子危うきに近寄らず」と「虎穴に入らずんば虎子を得ず」 「二度あることは三度ある」と「三度目の正直」などなど… 「蛙の子は蛙」と「鳶が鷹を生む」の関係も、その典型的な例と言えるだろう。前者は子の性質や能力は親に似るものだということであり、後者は突然変異のように優れた子供が生まれるケースを指している。 「どっちやねん」とでも言いたくなるところだが、両親から受け継いだ遺伝子に基づいて素質を引き継ぐのが普通である ー そんな感覚が、どちらのケースにおいても根底に潜んでいるのだと思う。 ヒトの才能・身体能力をめぐっては、古くから「生まれか育ちか」という論争が繰り広げられてきた。身の回りを見渡しても、”生まれながら”と言いたくなる人もいれば、育ちで克服したとしか言わんばかりの”努力の人”もいる。 それ
あらためて言うようなことでもないのだが、拙宅の本棚が大変なことになっている。毎月ハイペースで本を購入し続けているわけだから当然と言えば当然なのだが、スペースの確保以上に頭を悩ましているのは、本の並べ方である。 いつもジャンル毎に分けるべく整理を始めるのだが、いかんせん買う本のカテゴリーに偏りがあるため、やがてそのルールも破綻。いつの間にか買った順番に置いていくだけの、物置きスペースへと成り下がってしまうのだ。 理想はこうだ。たとえば本棚の中には歴史という名の付くものだけでも、宇宙誕生の歴史、生物の進化の歴史、人類の歴史、文明の歴史、科学の歴史など、さまざまなものがある。これらの本と本との間に隠れた相関関係を見出し、シナジーの働く並べ方にしたいのである。 同じようなことを考えている人が、世の中にどれくらい存在するのかは分からない。だが、読んだ本同士を相対的に位置づけ、俯瞰して眺めてみたいと思
首都圏一円に32店舗のソープランドを展開し、世界チャンピオンを3人輩出した角海老宝石ボクシングジム、角海老宝石などを所有。いまや500人を超すグループ企業となっているのが「角海老グループ」である。 これらを経営者として率いてきたのが、角海老グループの元総帥・鈴木 正雄氏。本書は、これまでに、ほとんどマスコミには登場しなかったことから「闇の帝王」「ソープランドのドン」などとも呼ばれた鈴木氏の半生をまとめたものだ。 取材をしたのは、かつて風俗ライターとしての経験もあるミステリー作家・木谷 恭介氏。84歳が80歳にインタビューを行い、生き字引同士で昭和の裏面を描き出す。まさに役者が揃いも揃ったりという状況である。 木谷氏の周辺取材によると、同業者からは角海老グループの荒稼ぎっぷりに、いささか羨望めいた非難まで聞こえてきたそうだ。唯我独尊、己が商法を貫き通し、今日現在”ソープランドの帝王”とまで呼
一瞬、何かの間違いではないかと思った。著者が『新ネットワーク思考』でネットワーク社会の新たな扉を開いたバラバシであるならば、情報科学がテーマとなっていることだろう。そして翻訳者が青木 薫ならば、そこに数学や物理などの自然科学が絡んでいるはずだ。しかし本書の中身は、大半が中世十字軍の話で占められているのである。 もう少し中を見ていくと、さらに奇妙なことに気がつく。中世十字軍の話は偶数章のみで、奇数章では現代のネットワーク関連の話が多岐に渡って紹介されている。それも、FBIにマークされて自分の位置情報をアップし続けた男の話、ドル紙幣の追跡サイトWheresGeorge.comの話、ハンガリーのポータルサイトにおけるサイト訪問者の法則など、一風変わったものばかりだ。 この本は、一体どうなっているのか?そんな不安が期待へと変わるのは、第7章の最後のあたり。 第1章から本章までのあいだにしてきた話は
タイトルだけを見れば、多くの人にとって異論の挟む余地はないだろう。個人的にもFacebookが本当に面白くなってきたのはグループという機能が付いてからだったし、ブログにしてもHONZというグループに入ってから手にしたものは、計り知れないものがあった。 その背景には、かつて文書を結びつけるものであったウェブが、人を中心とした構造へ変化したということがある。いくら良いコンテンツであっても、人の手を介して伝達されなければ情報は拡散されないし、逆もまたしかりだ。 著者は、かつてGoogleでGmailやYouTubeなど様々なプロダクトに関わった人物。彼の研究が基礎となってGoogle+のサークルという概念も生まれたのだという。しかし、その成果をまとめた"Social Circles"という題名の本を発表する直前に、著者自身がGoogleからFacebookへと移籍してしまう。本書はGoogleか
ネットを眺めていると、クイズやパズルに出くわすことが頻繁にある。じっくり腰を据えてやるつもりもなかったのに、ついつい考えこんでしまい、しまいには「あれっ、オレ何しようとしてたんだっけ?」 ― 誰しも経験のあることだろう。 ちなみに、僕が最近見かけたものの中で秀逸だなと思ったのが、以下の問題である。 EXILEとEXCELの違いは何か? 答えは色々あって、まとめるとこのようになるらしい。上手い!しかもご丁寧にExcelで作っているところがニクい! このような問題の面白さとは、答える際に、その人の人となりが如実に表れるというところにある。ゆえに、企業の面接で使われたもののパロディであるケースも多いという。上記の問題などは、おそらくただのネタであると思われるが、たしかに問題を考えた側にも、答えた側にも、一緒に働いてみたいなと思わせてしまうだけの魅力を感じる。 しかし実際の面接問題ともなると、少し
つい先日、話題になったヒッグス粒子発見の報。それを伝える紙面上で紹介されていた、物理学者・中谷宇吉郎のエッセイがずいぶんと印象的であった。 科学研究のやり方には警視庁型とアマゾン型の2種類がある。結果の目星がついていてその結果を得るための研究が警視庁型、研究対象の何たるかも分からぬまま秘境に分け入るのがアマゾン型――というものである。 1964年に存在が予言された「神の粒子」が、半世紀近くの時を経て理論を築き、実験で検証される。これこそまさに、警視庁型の極みと言えるだろう。一方で、アマゾン型の極みとも言えるのが、本書で紹介されているような物語の数々である。 調査対象がどのようなものか正体がはっきりせず、それがどのように影響を及ぼすのかも分からない。それでもじっとしていられないのが、科学者というものである。仮にそれが、人体に及ぶケースであったとしても彼らは人体実験という手法で道を切り開いてき
イエティ、ついにロシアで捕獲! - そんなニュースが飛びこんできたのは、年明け早々のことだった。しかも地元の動物園に運ばれており、公開予定もありと報道されていたように思う。さすがにこのニュースには胸が高鳴ったことを、昨日のことのように憶えている。 あくる日の動物園には、隣国のチェチェン共和国からも大量の人々が押し寄せたという。そこで観客たちが目にしたのは、なんと檻の中でゴリラの着ぐるみをまとった動物園職員の姿。これは世界中がズッコケた、寄付金目当てのロシアン・ジョークだったのである。 この一件からも明らかになったのは、いかに多くの人が雪男の存在を信じており、いかにこの手の情報が広まるのが早いかということでもある。そして、これらの雪男の噂や情報には、須らく人の手が介在しているのだ。 一体イエティの何が、かくも人を魅了するのか?本書は、そんなイエティの真実に独特の角度から迫った一冊である。 舞
2011年5月10日、日本国内に「新政府」が誕生した。とは言っても、民主党の話でもなければ、虚構新聞のネタでもない。どこのニュースにも報道されることのなかった この「新政府」は、ある男が勝手に決意し、勝手に作った思考上のものである。しかし、この国は確かに実在するのだ。 首都は銀座4丁目のとある土地。首相官邸は熊本市内のゼロセンター。国会議事堂は東京ミッドタウン内。領土面積は1426.5㎡、人口は12,608人(2012年4月19日現在)。本書はそんな、たった一人で独立国家を作った男の、思考のプロセスを綴った一冊である。 この「新政府」の初代内閣総理大臣に就任したのが、本書の著者でもある坂口恭平氏。肩書は、建築家、作家、絵描き、踊り手、歌い手などさまざまであり、やっていることだけを見ていると、ただの変な人である。しかし、自分自身の行動を言語化するのが抜群に上手い。 「アイディアとは既存の要素
早いもので、もう4月。新しい年度を迎えて、新社会人、新入生など、新しい生活へと身を転じることになる方も多いのではないだろうか。 新しい環境に入ると、えてして慣れるまでに時間を要するものであるが、この要因の一つに文脈の把握に時間が掛かるということが挙げられる。話している言葉そのものは理解できても、本当の意味で理解できるようになるためには、その組織体の文化を含めた背景がきちんと理解されている必要があるのだ。ほんの些細なことでさえも、異文化間で解釈が大きく異なるということは起こりうるものである。 そんな中、本書の著者の異文化体験のユニークさは、群を抜いている。ブラジルの先住民、ピダハンの人々と30年以上に渡ってともに暮らし、彼らがどのように世界を見て、どのように理解しているのかを観察し続けたのだ。当初の目的はキリスト教の伝道師として、布教活動を行うこと。しかし、そこでの生活は著者の運命を大きく変
一口にビジネスマンと言っても、最近ではさまざまなワークスタイルを見ることができる。いわゆる会社勤めだけを見ても、フレックス勤務や在宅勤務というものがあるし、フリーランスや起業という働き方もすっかり定着してきた。 とりわけその中でも注目を集めているのが、都市ノマドというスタイルであるだろう。昨今のインフラの充実ぶりを背景に、MacBook AirやiPadでクラウドサービスを駆使しながら、WiFiのあるカフェを点々とする。そんな身軽で自由な生き方が共感を呼んでいるという。 しかしこの東京下においても、お祭りからお祭りへと点々と移動しながら、時には焼きそば、時には綿アメと手を替え品を替え、商いを行ってきたノマドたちがいる。それが本書の題材にもなっているテキヤと呼ばれる人々だ。 「テキヤ殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降りゃいい」とは寅さんの有名な台詞だが、このような不安定な生業を続けていくため
今、この瞬間、いったいどのような音に囲まれているかを考えてみてほしい。物音一つしない部屋にいると感じたとしても、耳をすませば遠くからは冷蔵庫のモーターの音が聞こえているかもしれないし、しばらくすると自動車の走行音が聞こえてくるかもしれない。また、人によっては音楽を聴きながら、楽しいひと時をすごしているのかもしれない。 雑音のようなものでも、名曲と言われるような音楽においても、物理現象としては空気の振動が鼓膜に届いているにすぎない、それなら、ただの雑音と音楽を分け隔てているものは何なのか?本書はその決定的要因である”響き”について、科学的に考察した一冊である。 ◆本書の目次 1章 音楽とはいったい何なのか? 2章 絶対音感とは何か?わたしにもある? 3章 音と雑音 4章 木琴とサクセフォーン 5章 楽器の話 6章 どれくらい大きいと大きいのか? 7章 和声と不協和音 8章 音階の比較考察 9
「英語ができても、バカはバカ」とは、どこかで聞いたようなセリフだが、「数学ができても、バカはバカ」という命題は、はたして真なのか、偽なのか。英語と同じように、数学を道具や媒介物と位置づけるなら、この命題は真となる。それなら話は簡単だ。結論は「数学を勉強せずに、本を読め!」である。 しかし数学は、道具と位置づけるには、あまりにも上手く出来過ぎているようにも思える。全宇宙だけでなく、きわめて複雑な人間の営みさえも見事に記述することができるのだ。これなら、道具は道具でも「神の道具」ではないかと考える人間がいても不思議ではない。かのアインシュタインも、こう語っている。「数学は、経験とは無関係な思考の産物なのに、なぜ物理的実在の対象物にこれほどうまく適合するのか?」 この命題を、本書の言葉で置き換えると、「数学は発見か、発明か?」という問いかけになる。神が自らの想像によって創造した数学、それを人間は
大変ありがたいことに、成毛 眞氏が主催する”本のキュレーター集団 HONZ”に参加させていただくことになりました。先日初めて定例会に出席しましたので、そのご報告を。 定例会の進行は、いたってシンプル。メンバー達が各々のオススメ本を3冊紹介するというスタイルである。ところが、これが実に奥が深い。他の人とのカブリを避け、なおかつオリジナリティのある一冊をセレクトしなければならない。全体の流れは東さんのエントリーに詳しいので、そちらを見てほしい。 僕が持っていたのは下記の三冊。書いてある通りの順番で紹介し、外側から徐々に内側に寄せていくという方針で臨んだ。 一冊目の『ダムマニア』については、なかなかいいリアクションをもらえたのではないかと思う。最初はリアクションが薄かったのだが、ダムカレーの話を切り出したあたりから一気にヒートアップ。ところが二冊目のちょっと内側に寄せたゾーンに入ると、もう他のメ
本書の表題は『盆踊り』。ここだけ見ると、夏ももう終わりだねぇなどと呟きたくもなる。しかし、副題を見落とさないで欲しい。「乱交の民俗学」と書かれてある。さらにオビには「<盆踊り>とは、生娘も人妻も乱舞する”乱交パーティ”だった!」の文字が。これはもはや、只事ではない。 コペルニクス的転回とは、このようなことを指すのだろう。あの夏の風物詩である盆踊りが、歴史的に紐解くと、乱交パーティだったなんて。本書は、それをさまざまな史料を掘り起こしながら再確認しようという試みの一冊である。著者は、風俗史家なる人物。一口に風俗といっても様々な意味があるわけだが、あんな意味やこんな意味の双方をおさえている両刀遣いである。 例えば、あの有名な「ええじゃないか運動」も、性的な要素を多分に孕むという。通常、歴史の授業で教わるような「ええじゃないか運動」の説明はこうなる 日本の江戸時代末期、東海道、畿内を中心に、江戸
「童謡・唱歌を科学する」という副題のついた一冊。この狙いが見事なまでにはまっており、鮮やかだ。例えば、表題にもなっている「赤とんぼ」。その歌詞の四番に、こんな一節がある。 「夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ 竿の先」 そもそも赤とんぼは、なぜ竿の先に止まるのか?それは本書によると、赤とんぼが変温動物であるということと関係があるそうだ。秋になって気温が低くなると、赤とんぼは太陽の光を浴びて体温をあげなくてはならない。その際に、できるだけ広い面積に日光を当てて効率よく体温を上げたいという欲求が発生する。そのため、横腹と日光の角度を調整しやすい竿の先のようなものに止まる必要があるというのだ。 小さなお子さんを持つ方にとっては、必読の書であるだろう。大人が当たり前のこととして受け止めがちな童謡の歌詞、その何気ないところに一撃を加えてくるとしたら、それは子供である可能性が高い。純粋な子供は、生
テレビでスタイル抜群の美女がインタビューを受けているとする。満を持して、司会者がお約束の質問を繰り出す。「その抜群のプロポーションを保つ秘訣は、何ですか?」「え~、本当に何もしてないです。好きなものを好きなだけ食べているだけなんで。」 よく見る光景である。しかし、これほど罪つくりな言葉もない。当人は、本当に好きなものを好きな時に食べているだけかもしれないが、デフォルトで設定されているであろう上限の説明が、一切省かれてしまっている。「好きなだけ」の目盛りは、人それぞれ違う。それなのに、世の多くの人はこの発言を、自己コントロールによるストレスこそ悪なのだと、勘違いして受け取ってしまうのだ。 人間には、誰にだって欲求がある。もちろんその中には良い欲求、悪い欲求の双方が含まれる。しかし、抑えなければならない欲求があるからこそ、自己コントロールという概念が存在する。本書は、そんな「自己コントロール」
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『blogs.itmedia.co.jp』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く