エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
篠田節子「長女たち」書評 娘に降りかかる看取りの理不尽|好書好日
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
篠田節子「長女たち」書評 娘に降りかかる看取りの理不尽|好書好日
長女たち [著]篠田節子 やっぱり最後に頼りになるのは実の娘。娘に看取(みと)られたい。高齢者どこ... 長女たち [著]篠田節子 やっぱり最後に頼りになるのは実の娘。娘に看取(みと)られたい。高齢者どころか、四十代の友人までもが平然と口にする。とりわけ長女にかけられる期待は大きい。 三つの中編作品に登場する長女たちは、いずれも配偶者も子どもも持たない。社会の中で自立し、自由に働いていた。それが親を看取る歳(とし)となって、従来の家族観に引きずり戻される。 「家守娘」の直美は、母親の認知症を介護するために仕事をやめ、「ミッション」の頼子は母親に死なれ、娘に代わりを強要する父親を放置して仕事に邁進(まいしん)するうちに父親を孤独死させたことに悩み、「ファーストレディ」の慧子は、糖尿病の母親の看病にとりこまれていく。 これまで外での仕事を持たない主婦が引き受けさせられてきた介護。単身で働いてきた者にとって、仕事を失い、社会から隔絶される不安と焦燥に加え、無償で弱者の世話を看ることにうまく適応できな