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「皮膚感覚と人間のこころ」書評 触れるとなぜ気持ちいいのか|好書好日
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「皮膚感覚と人間のこころ」書評 触れるとなぜ気持ちいいのか|好書好日
皮膚感覚と人間のこころ [著]傳田光洋 皮膚感覚という語は日常によく耳にするが、概念に対する身体感覚... 皮膚感覚と人間のこころ [著]傳田光洋 皮膚感覚という語は日常によく耳にするが、概念に対する身体感覚という意味で認識されているように思う。私たちは普段、皮膚に類する語を比喩的にけっこう無意識に使っている。「鳥肌が立つ」とか、「一肌脱ぐ」とか、「虚実皮膜の間」とか。 「虚実皮膜」は虚構と事実の微妙な境界にこそ芸術の真実が宿るとする考えで、その両極を共有する薄い膜が皮膚じゃないかと想定するならば皮膚がにわかに芸術と深い関係を生じるじゃないですか。 また「皮膚之見(のけん)」という言葉を耳にすることがある。その意味は、表面だけでは分からない皮下にモノの本質があると言いたいのだが、この「皮下」こそ本書のテーマである「人間のこころ」ではないのだろうか。余談になるがアンディ・ウォーホルは「表面が全てで裏には何もない」と、全くこの言葉と真逆のことを言っている。 それはさておき、皮膚は世界と自己の境界を形