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「挨拶の哲学」 無明の人生の美しい瞬間を考察 朝日新聞書評から |好書好日
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「挨拶の哲学」 無明の人生の美しい瞬間を考察 朝日新聞書評から |好書好日
「挨拶の哲学」 [著]鳥越覚生 難解な書である。哲学者ショーペンハウアーの論稿を軸に、幾人かの哲学... 「挨拶の哲学」 [著]鳥越覚生 難解な書である。哲学者ショーペンハウアーの論稿を軸に、幾人かの哲学者、思想家の論旨を加えての「挨拶論」である。ただ、著者の視点は明確で、無明の人生に美しい瞬間があるとすれば、身内や他者と「心から挨拶を交わせた瞬間」ではないかと言い、「人は森羅万象と挨拶をするために生まれて来た」とも説く。 第一部は思想史篇(へん)とある。挨拶とは他者に無関心でないこと、他者の苦しみのそばに立つと告げる祈り、と規定する。それを下敷きに、漱石文学の「非人情」を語る。 さらに、目を閉じた時に現れる暗がりの中の色彩から、身体論へと考察を進める。目を閉じると現れる色彩は、大地からの挨拶だ。人類の生存戦略として、透明であった色彩が不透明に濁っていく過程は、科学的に解明されつつある。もう一度、透明な色彩の世界に遊ぶことはできないものか、と著者は問う。 哲学者のレヴィナスについても語る。彼は