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大学をあの手この手で改革しようとした末路 佐藤郁哉『大学改革の迷走』|じんぶん堂
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大学をあの手この手で改革しようとした末路 佐藤郁哉『大学改革の迷走』|じんぶん堂
記事:筑摩書房 書籍情報はこちら 一九九四年七月一五日のことです。場所は、東京大学安田講堂の一室。 ... 記事:筑摩書房 書籍情報はこちら 一九九四年七月一五日のことです。場所は、東京大学安田講堂の一室。 一九五五年生まれの私にとって、安田講堂と聞いてまず頭に浮かぶのは「安田砦」のイメージでした。つまり、いわゆる東大闘争の末期、一九六八年七月から翌六九年一月半ばまでの六か月以上にわたって学生活動家たちによって占拠されたあの安田砦です。 安田砦は、最終的には、機動隊と学生たちのあいだで繰り広げられた激烈な攻防戦の末に「落城」しました。一時期その活動家たちの根城になっていたのが安田講堂なのです。それもあって安田講堂は、その頃、学生運動の象徴的存在になっていました。また、当時の学生運動には反体制運動や対権力闘争としての一面があったとされています。 ですから、まさかその安田講堂の一室で、全国の大学から送られてきた大量のシラバスの山を目にすることになるとは思ってもいませんでした。というのも、私からしてみ