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松浦大悟が解説する東京レインボープライドが炙り出したLGBT運動の矛盾
そもそもなぜLGBTパレードをやるのか。それは「眼差し」を相対化するためである。これまで奇異な目で見... そもそもなぜLGBTパレードをやるのか。それは「眼差し」を相対化するためである。これまで奇異な目で見られる側だったLGBTが、パレードを歩くことによって沿道のマジョリティを眼差し返す。そこでは「見る/見られる」関係が逆転する。「動物園で檻の中の動物を見ていたつもりが、実は檻の中に閉じ込められていたのは自分だった」との気付きが、マジョリティ側にもたらされるのだ。 これはフーコーのパノプティコンの議論と同じである。「見る側」が規範や価値観を決め、「見られる側」はそれを内面化していく。そしていつの間にか、自分を眼差す具体的な他者がいなくても、眼差しを感じるようになっていく。ゲイにホモフォビアが多いのはマジョリティの眼差しを内面化しているからだ、と。それを解除するためのLGBTパレードでもあるのだ。 そうした本来的な意味は忘れ去られ、それぞれの陣営がそれぞれのエコーチェンバーの「檻」に籠ってしまっ
2024/06/27 リンク