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希代の女優・李香蘭に10万人が押し寄せた「日劇七回り半事件」とは何だったのか | 文春オンライン
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希代の女優・李香蘭に10万人が押し寄せた「日劇七回り半事件」とは何だったのか | 文春オンライン
1941年2月11日、東京・有楽町の日本劇場(日劇)で行われた「歌ふ(う)李香蘭」と題された実演の歌謡シ... 1941年2月11日、東京・有楽町の日本劇場(日劇)で行われた「歌ふ(う)李香蘭」と題された実演の歌謡ショー。10万人ともいわれる群衆が劇場を取り巻いた挙げ句、切符を求めて押し寄せ混乱。多くの警官が出動して制圧する騒ぎとなった。 「七回り半」という表現は当時の新聞には見えない。そもそも正確に数えた人間がいたのかどうか……。後になって誰かが書いたのが、語呂がいいことから一人歩きしたのかもしれない。時は太平洋戦争が始まる約10カ月前の「紀元節」。李香蘭とはどんな存在で、事件はどんな意味を持っていたのだろう。 「佳節を汚した 観客の狂態 堪りかねて署長大喝」 「紀元の佳節 きのふ宮中の御祭儀」(東京朝日)、「碧空に、陸に、海に、慶祝の大行進 帝都彩る赤誠の催し」(東京日日)、「陸海空に奉祝行進 時艱(当面する難問)粉砕の熱誠 『悠久日本』を寿ぐ帝都」(読売)。1941年2月12日の朝刊は1面トッ