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(3ページ目)《ナンシー関没後19年》「約束を果たさないまま、逝ったのが心残りだったんだと思います」稀代のコラムニストの知られざる“晩年” | 文春オンライン
こういうのってハナでせせら笑ってもダメなんである。相手はこれだけズレた事をやってる人間なんだから... こういうのってハナでせせら笑ってもダメなんである。相手はこれだけズレた事をやってる人間なんだから「ハナでせせら」という意味など通じない。無視しても無駄。怒らないとだめなんだけど、こんなもの怒るの嫌だしなあ、という「とほほー」によって出来る国民感情の弛緩部分に巣喰っているのである (『テレビ消灯時間』) 「現代史」をテレビ評で書く 最初は売り込みに際し過剰におずおずとして、不審がられながら何時間も無言のまま「ビックリハウス」編集部で座っていたりした関直美だが、ナンシー関になりかわって仕事は増えた。 1988年、26歳頃には「週刊プレイボーイ」「月刊カドカワ」「サンデー毎日」等から注文を受け、89年には「月刊プレイボーイ」で内藤陳の読書コラム「読まずに死ねるか」のイラストを担当した。多くは「消しゴム版画」の注文であった。ステッドラー社の大きなサイズの消しゴムの版面に人物の特徴を掴み出し、そこに
2021/12/01 リンク