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後三年の役~頼朝の高祖父・義家を武士のシンボルに高めた戦いとは?
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後三年の役~頼朝の高祖父・義家を武士のシンボルに高めた戦いとは?
前九年の役で清原氏にチカラを借りた源氏前九年の役で謀反を起こした安倍氏(陸奥=宮城・岩手県あたり... 前九年の役で清原氏にチカラを借りた源氏前九年の役で謀反を起こした安倍氏(陸奥=宮城・岩手県あたり)。 東北地方の将兵は、古来より馬術・弓術に優れているとされ、鎮圧にやってきた源氏軍だけでは制圧が難しく、そこで大きな役割を果たしたのが同じ東北の清原氏(出羽=山形県)でした。 当時の源氏軍トップである源頼義が、近場で勢力を持っていた清原光頼&清原武則兄弟に協力を頼み、源氏軍の倍以上の兵(記録では1万とも)を調達してもらったのです。 清原氏は、同エリアで一・二を争う有力者だったんですね。 結果、源氏&清原氏が勝利。 報奨として源頼義は伊予守に任ぜられ、息子の源義家も出羽守になると、清原武則も鎮守府将軍となり、奥羽支配を進めました。 そして前九年の役から二十年ほどが経ち、どの家でも世代交代が起きていました。 後三年の役の頃、清原氏の当主は清原武貞(たけさだ)という人でした。 彼は先妻との間に清原真