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「公会議主義」の登場から退潮まで~中世末期教会改革の挫折
公会議(ラテン語” Concilium Oecumenicum”,英語” Ecumenical council”)は以下のように定義される。 『... 公会議(ラテン語” Concilium Oecumenicum”,英語” Ecumenical council”)は以下のように定義される。 『カトリック教会において全世界の司教が教会の最高指導者として集まり、信仰とキリスト教生活に関して規範となるような議決を行う教会の最高会議。教皇が召集・主宰し、決議を承認すると規定されている』(注1) 325年の第1ニカイア公会議を最初の公会議として、教皇の下で教義の制定や教会行政上の決定、異端の排斥などの機能を担ったが、十一世紀以降の教会改革を経て教皇権が強化されると、教皇の悪政を抑止する機能を公会議が持つとする見解が生じ、十三世紀頃から教皇至上権に対し公会議こそ教皇より高位の権力を持つとする理論が提唱されるようになり、1378年から「教会大分裂(大シスマ)」時代に入ると、公会議が教会における至上権を持つとする「公会議主義(” Conciliaris
2019/06/17 リンク