エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
句読の難―『困学紀聞』と『尚書大伝』(下) - 達而録
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
句読の難―『困学紀聞』と『尚書大伝』(下) - 達而録
前回の続きです。 回りくどい話をしてきましたが、ここで登場するのが、丁杰(乾隆3年-嘉慶12年、1738-1... 前回の続きです。 回りくどい話をしてきましたが、ここで登場するのが、丁杰(乾隆3年-嘉慶12年、1738-1807)です。まずは伝記資料から、彼の功績を確認してみましょう。 『文獻徵存録』卷七 丁杰、字升衢、歸安人。少以清苦建志、家貧不能得書。日就書肆中、讀自朝至晡、以爲常。肆主閔之、爲具食、不食也。久之、博學多通。・・・朱學士筠、盧學士文弨、戴編修震、程孝廉瑶田、皆與爲友、學益進、聚書益多。四十六年成進士。・・・尤善校書、雅雨堂盧氏所刻『書傳』乃惠徵君所裒輯、杰以爲疏舛。如「鮮度作刑以詰四方」、誤讀『困學紀聞』乃謬之甚者。 最初の、「貧しかったため本屋に通って読書していた」というエピソードからは、『後漢書』王充伝が思い出されて興味深いところ。*1 何はともあれ、『尚書大伝』における恵棟(康熙36年-乾隆23年、1697-1758)の輯佚作業にミスが多かったため、丁杰が補正した、という話が