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【山口和幸の茶輪記】四半世紀のツール・ド・フランス取材で変革したことと普遍のもの | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト
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【山口和幸の茶輪記】四半世紀のツール・ド・フランス取材で変革したことと普遍のもの | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト
今年もツール・ド・フランスの全日程を取材して無事パリにゴールすることができた。現地取材が四半世紀... 今年もツール・ド・フランスの全日程を取材して無事パリにゴールすることができた。現地取材が四半世紀にもなると、フランス社会のなかで激変したことと、それとは対極にまったく変わらないものがあることに気づく。 ボクがツール・ド・フランスを初めて見たのは1988年。そうはいってもただの観光客で、取材申請もしていなかったから、パリの大観衆に埋もれて総合1位の選手が着用するマイヨジョーヌがどこにいるのかも確認できなかった。初取材は1989年だ。 ■スマホもケータイもなかった時代 当時の通信環境は今から考えると信じられないものだった。ボク自身は自転車専門誌の編集部員だったので、帰国後に現像したポジフィルムから掲載するものを選んで、メモを見ながら原稿を書けばよかった。ヨーロッパの新聞記者は毎日その場で原稿を書いて送らなければいけないのだが、本社に電話をかけて手書き原稿を読み上げていた。しかもフランステレコム