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美味しいを哲学すると、もっとおいしい『「美味しい」とは何か』
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美味しいを哲学すると、もっとおいしい『「美味しい」とは何か』
天下一品の「こってり」が好きだ。 食べるたびに脳内で「おいしい」とリフレインが叫んでる。このご時世... 天下一品の「こってり」が好きだ。 食べるたびに脳内で「おいしい」とリフレインが叫んでる。このご時世、わざわざ会社に行く唯一の理由は天一といっていい。 一方で、あの「こってり」の濃厚スープが合わない人がいることも知っている(妻である)。 ポタージュ状のあのスープを、私は「おいしい」と感じ、妻は「おいしくない」と言う。 このとき、私たちは何らかの評価をしているはずだ。その評価は、センスによる主観的なものなのか。あるいは、何かしらの客観的な基準があって、それに合うから「美味しい」と言うのか。 何かを美味しいと評価するとき、実際のところ、私は何をしているのか? その評価は、私個人のものであり、正しいとか誤っていると言えるのだろうか? こうした疑問について、美学の立場から追求したのが、『「美味しい」とは何か』だ。 美学(aesthetics)は、評価を下すときに用いる「センス」を考察対象とする哲学で