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「墓島」「餓島」と呼ばれた最激戦地から奇跡的に生還したCFO 横山一三(3) | ウェブ電通報
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「墓島」「餓島」と呼ばれた最激戦地から奇跡的に生還したCFO 横山一三(3) | ウェブ電通報
昭和23(1948)年12月21日、台所からは妻しづ江が朝食の準備をする音が聞こえていた。当時、電通の年度... 昭和23(1948)年12月21日、台所からは妻しづ江が朝食の準備をする音が聞こえていた。当時、電通の年度決算は11月末で、業務が毎夜遅くまで続き、横山は疲れでまだ布団の中にいたが、妻から玄関に高井さんという方が訪ねてきたと告げられる。続けて「ちょっとお目にかかりたい」と仰っています、と。しかし高井の名に記憶はない。いったい誰だろう、何が起きたのかといぶかりながら、着替えを済ませて2階の寝間から玄関に降りていった。そこには見知らぬ男が立っていた。 男は開口一番、「お目にかけたいものがありますので、万世橋までお出で願いたい」と言った。しかしその男には全く面識がなく、もしや軍隊時代の先輩の使いで来たのかと尋ねても、ともかく一緒に来てほしいと言ってきかない。横山は庭下駄を突っかけたままで、やむなく男の後をついていくことにする。不安がよぎったが、そこは戦場で何度も死線を乗り越えてきた度胸で、警戒し