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野村證券・瀬川美能留が掲げた創業者の遺訓とパイオニア精神
The Legend Interview不朽 1913年に創刊された週刊ダイヤモンドには、日本の産業史に名を残す大経営者が... The Legend Interview不朽 1913年に創刊された週刊ダイヤモンドには、日本の産業史に名を残す大経営者が数多く登場してきた。その中から、今でも色褪せることのない至極のインタビュー記事を、当時の時代背景に関する解説記事を加えて再編集し、お届けする。 バックナンバー一覧 野村證券をいわゆる“株屋”から金融機関へと転換させた功労者は、3代目社長の奥村綱雄と、その後を継いだ瀬川美能留(1906年3月31日~1991年9月10日)の2人といえるだろう。 奥村は終戦の1945年に取締役に就任した。就任間もなく、財閥解体で飯田清三前社長ら当時の幹部が大量追放された。結果、47年には早くも専務に抜てきされ、48年には45歳の若さで社長に就任した。 奥村が打ち出したのは「ダイヤモンド経営」と称する経営方針だった。いわく「ダイヤモンドは中央の面を囲み、多くの面が多角的に集まって底知れぬ光を放
2020/08/20 リンク