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第34回 三省堂の活字の規格 | 「書体」が生まれる―ベントンがひらいた文字デザイン(雪 朱里) | 三省堂 ことばのコラム
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第34回 三省堂の活字の規格 | 「書体」が生まれる―ベントンがひらいた文字デザイン(雪 朱里) | 三省堂 ことばのコラム
関東大震災が起こるまえ、神田三崎河岸に印刷工場があった時代、三省堂の和文活字はすべて号数制で、秀... 関東大震災が起こるまえ、神田三崎河岸に印刷工場があった時代、三省堂の和文活字はすべて号数制で、秀英舎(現・大日本印刷)系の書体をつかっていた。号数制は和文独特のものであり、和文と欧文が混植となる辞書では、双方の活字の規格がちがうことで不便がおおかった。 そこで臼井という種字彫刻師に彫らせたのが三省堂新7号活字だった。これは6号と7号の中間のおおきさで、欧文と混植しやすかった。しかし、和文の号数制活字とは倍率のあわない半端なおおきさでもあったため、三省堂は活字の体系を整理しなくてはならないという課題をかかえていた。ひとたび本格的に整理するとなれば、莫大な量の母型をつくりなおさなくてはならない。容易ではないことで、すぐには着手できず、やむをえずそのままになっていた。 三省堂がポイント制活字への切りかえを決意したのは、第22回「震災からの復興とポイント制活字の導入」でふれたとおり、大正12年(1