エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント2件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
赤松某と曽野綾子のツーショット写真(?)・・・。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
●資料引用元 『青い海』1971年6月号の赤松嘉次手記「私たちを信じてほしい」 『15年戦争資料 @wiki』 ht... ●資料引用元 『青い海』1971年6月号の赤松嘉次手記「私たちを信じてほしい」 『15年戦争資料 @wiki』 http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/840.html この写真は、1971年6月、「青い海」という雑誌に、「赤松手記」とともに掲載されたものである。左奥の女性が曽野綾子、その手前の、テーブルに乗り出して右手で何かを指している白ワイシャツの男が赤松某、と思われる。曽野綾子が、赤松某や赤松隊隊員等と接触したのは、大阪千日前「ホテルちくば」以来、少なくとも二回目である。他に、この前後に、豊田市でも接触しているようだが確認はとれていない。この写真からも、曽野綾子が、事件の一方側の当事者である取材対象に深入りしていることは明らかで、ここで赤松等と情報交換や資料の調整等を行ったことが推測される。おそらく曽野綾子は、沖縄現地取材の成果を、たとえ
2007/12/30 リンク