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広島@サーチ
▼道路脇に防空壕(軍需物資用)跡を見る いつも「比治山陸軍墓地」から海の方を展望すると、赤いヤグラ... ▼道路脇に防空壕(軍需物資用)跡を見る いつも「比治山陸軍墓地」から海の方を展望すると、赤いヤグラが立ち,真っ先に眼に飛び込んでくる「金輪島」、2000年までは、似島や宮島、まだ紹介していない江田島、倉橋島等多くの島に戦争遺跡を求めて行っていましたが、ここだけは、今は金輪島造船所となっており、かって仕事で行った経験、さらにこの島について書かれた文献に殆どお目にかかっていなかったため、人を案内する自信が無く行きそびれていましたが、2000年は偶然ですが、なんと3回も渡りました。最初は、1994年に江種祐司氏が書かれた資料一つだけでの「冒険旅行」、2回目は8月7日の海のクルージング・フィールドワークでの参加者として、3回目は、ついに「案内人」として。 1992年、陸軍船舶司令部がおかれ、隷下の部隊として陸上勤務第209中隊(暁1989部 隊)が、戦争末期には野戦船舶本社の一部もこの島に置かれ、
2008/11/05 リンク