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かつての抗争相手の妹を徳川秀忠の「育ての親」に 家康は今川家を頼りにしていたのか | AERA dot. (アエラドット)
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かつての抗争相手の妹を徳川秀忠の「育ての親」に 家康は今川家を頼りにしていたのか | AERA dot. (アエラドット)
徳川家康像。東京大学史料編纂所所蔵 この記事の写真をすべて見る 一〇年近く抗争を繰り返し、三河統一... 徳川家康像。東京大学史料編纂所所蔵 この記事の写真をすべて見る 一〇年近く抗争を繰り返し、三河統一後は、以前の主従関係が入れ替わった徳川家康と今川氏真。一般的に、家康は今川家に対して否定的だと考えられてきた。ところが新たに分かったのは、家康が氏真の妹・貞春尼を女性家老に任命していたという事実。二人の関係性について、これまでの認識を大きくあらためなければならない、と説くのは歴史学者・黒田基樹氏だ。黒田氏の著書『徳川家康と今川氏真』(朝日新聞出版)から一部抜粋、再編集し、紹介する。 【写真】家康が頼りにした今川氏真の姿はこちら * * * 天正七年(一五七九)という年は、家康にとっても、また家康と氏真の関係においても、大きな画期となった年であるといえる。 家康にとっては、第一に、新たな嫡男となる徳川秀忠(幼名長丸、一五七九〜一六三二)が生まれたこと、第二に、北条家と同盟を成立させて、武田家