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継続的に対話する主観 - アンカテ
「エジプトで起きたことはfacebook革命だ」「いやあれは単なる軍のクーデターだ」「いや両方の要素が混... 「エジプトで起きたことはfacebook革命だ」「いやあれは単なる軍のクーデターだ」「いや両方の要素が混じっている」という三人がえんえんと果てしない議論をするとしたら、その三人は「どこかに客観的な真実というものがある」という点において合意している。 「客観的」ということには二つの意味があって、ひとつは「誰が見ても同じ結果になる」ということで、もう一つは「それについて言及する際に私は自分について何かを語りたくない」ということだ。 実際には、「誰が見ても」と言う時、その中の「誰でも」には「特定の世界観に合意し、一定の訓練を受けた者なら誰でも」という暗黙の前提がある。そこをはしょって「誰が見ても」と言うなら、「それは自明のことで、誰でも受け入れるべきことである」と、自分の価値観や世界観を主張しているということだ。本当は自分について語ることを拒否して何かに言及することはできない。 客観性というもの
2011/03/11 リンク