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調べることと創造すること - 読書は人間の夢を見るか
日本の教育は詰め込み学習だ。 次世代に生きるものには新しいものを作り出す能力が必要だ。 などと言わ... 日本の教育は詰め込み学習だ。 次世代に生きるものには新しいものを作り出す能力が必要だ。 などと言われて久しいように思う。 それに対応した「ゆとり教育」などはポシャって行った。 そうした中で、私が有効だと思うのは、「調べ学習」のようなものだ。 「調べる」ことはすなわち「問いを立てる」ことでもある。 これをできずに何でもかんでも調べてしまったり、逆に何も調べられない人*1は、意外と多い。 以前聞いた話に以下のようなものがある。 夏休み終盤になると、公共図書館は小学生で溢れ返る。 宿題をこなしていくためだ。 レファレンスにもそうした関連のものが多く舞い込んでくる。そのひとつ。 「米」 そうとだけいって立っている少年。何を聞き返しても 「米」とだけ答えるのだという。 おそらく「お米について調べてきて」という課題が出たのだろう。 もちろん、「米」とだけ言われたのでは、何もいいようがない。 この場合に
2010/02/04 リンク