![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/ec2aa00f42452b44e5675c2d641e8fe2c701226c/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ffull-count.jp%2Fwp-content%2Fuploads%2F2023%2F12%2F02142209%2F20231202_hikono3_ys-560x373.gif)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
1年後輩の“スター”を「ひがんでいた」 念願の昇格も補充要員…喜びむなしい初HR
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
1年後輩の“スター”を「ひがんでいた」 念願の昇格も補充要員…喜びむなしい初HR
彦野利勝氏は3年目の1985年に1軍初昇格…初本塁打も記録した 発奮材料は後輩の1軍昇格だった。1982年ドラ... 彦野利勝氏は3年目の1985年に1軍初昇格…初本塁打も記録した 発奮材料は後輩の1軍昇格だった。1982年ドラフト5位で愛知高から中日入りした彦野利勝外野手(現野球評論家)はプロ1年目(1983年)も2年目(1984年)も1軍出場はなかった。「2年目は2軍でクリーンアップを打って、ホームランも十数本。成績も悪くなかったので、いつ呼ばれるかなって期待感があったんですけどね」。悔しかったのは1年後輩のドラフト1位ルーキー・藤王康晴内野手に先を越されたことだった。 「1年目は2軍でしかたないと思いました。大した成績も残していませんでしたから。でも2年目はね。藤王が途中から1軍に行って、あいつ、上でも打ったじゃないですか。ちょっとひがんでいました。僕の方が打つんじゃないかって勝手に思っていましたしね」。愛知県一宮市出身の藤王は享栄高時代の1983年選抜大会で11打席連続出塁、3試合で打率9割と大活