![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f5532351c67b8de80b58787cfbed0c4f5f8361c0/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fgendai-m.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F4%2F4%2F1200m%2Fimg_442acd069c9e034f125a321bf5969ea2253369.jpg)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
あまりに難しすぎて多くの人が挫折した…日本人が書いた初めての哲学書「善の研究」が生まれた「驚きの事情」(藤田正勝)
明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは... 明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。 ※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。 伝説の名著「善の研究」 西田幾多郎が一九一一年に出版した『善の研究』のなかでまず問題にしたのは「実在」、つまり真の存在、真の意味で「ある」と言えるものは何かということであった。西田がそれを問題にしたのは、西洋の哲学においてその問いに対して十分な答が出されていないと考えられたからである。『善の研究』には、西洋の哲学との対決という意味が込められていた。西田がなぜそれを問題にし、どう答えたのか、そしてその問いは戦後、どのような形で問題にされたのか。本講ではその点を見ていくことにし
2024/06/07 リンク