エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
〈自由の民〉の言葉---『天人 深代惇郎と新聞の時代』著・後藤正治(後藤 正治)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
〈自由の民〉の言葉---『天人 深代惇郎と新聞の時代』著・後藤正治(後藤 正治)
若い新聞記者が拙宅に来られた。これまで私に多少の蓄積がある往時の移植医療の取材であったが、よく勉... 若い新聞記者が拙宅に来られた。これまで私に多少の蓄積がある往時の移植医療の取材であったが、よく勉強されている記者で、知る限りのことは伝えた。話が一段落してからこういわれた。 「一読者としていえば、要するに後藤さんはご自身が好きになった人のことを書いてきた作家ですね」 長く稼業を続けてきた余禄なのであろう、私にも読者がいると思うことがある。記者はそのお一人だったようで、主要な拙著すべてを読んでおられた。ストーリーの細部を書き手よりもよく記憶されていることがあって、ありがたくもまた恐縮してしまった。 結局、好きになった人のことを書いてきた―。その通りであったと思う。 近年の作でいえば、『清冽』、『スカウト』、『ラグビー・ロマン』、またこのたび上梓した『天人 深代惇郎と新聞の時代』の主人公たちは、いずれも敬意を覚えつつ好きになった人たちであった。 『清冽』は詩人の茨木のり子、『スカウト』は広島カ